HIDEKI Wikipedia

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西城秀樹氏の私設Wikipedia

女性ファンのみならず、山口百恵や岩崎宏美など同世代の女性アイドルにもファンが多く、『第18回日本レコード大賞』で西城が歌唱賞を受賞した際に、彼女らは同じ壇上にいて自分のことのように号泣した[531]。この時代のエピソードとして、元テレビ・ディレクターのテリー伊藤が西城秀樹の死後に明かした秘話(還暦となった西城秀樹から直接打ち明けられたとされる昔の思い出話)によれば、西城秀樹は人気絶頂の若い頃、山口百恵からラブレターをもらったことがあるという[532][533]。山口からもらった手紙の話は西城の著書にも書かれている他[534]、山口が西城のファンだったことは、山口の新人時代の『月刊明星』や『月刊平凡』に書かれている[535][536][537][538]

 

ミュージカル『わが青春の北壁』を演出した当時劇団四季の演出家だった浅利慶太は西城のファンの事をこう語っている。「ミュージカルをやって一番感心した事は、秀樹君のファンのレベルの高さです。実に質いいお客様で、初めは、経験がないので心配しましたが、彼に対して非常に温かい。秀樹君を、育てようという姿勢が見える。彼は幸福な役者ですね。あれだけ良いお客様に恵まれたら、いい役者になります。彼と一緒に成長する年齢層があるんでしょうね」[539]

 

岩崎宏美は「17歳のとき、秀樹さんの前座で歌って、そのあと照明の横からステージの秀樹さんを観ていました。生は初めてでしたが、とても輝いていました。そのときからずっと印象は変わりません。本当にカッコいい歌手でした」と述べた[41]

 

デビューが同じ頃で同学年だった坂口良子が西城の大ファンで、連載を持っていた『週刊セブンティーン』のゲストに西城を指名し呼んだことがある[540]

 

西城は大人の女性からもよくモテて[475]十朱幸代と付き合いがあったことは双方認めている[47][237][541]。特に外国人女性は感情をストレートに表現するため、1978年の第7回東京音楽祭に出演したエモーションズにモテモテで大変困惑し[542]、同年7月22日、ソロシンガーとして初めて後楽園球場で行ったコンサートで共演した黒人ダンサーに「ワタシハアナタガスキデス」とたどたどしい日本語で告白された[542]

 

ダイアナ・ロスにホテルの部屋に誘われたともいわれ[543]、1984年4月、共に来日していたシルヴィー・バルタンアリ・マッグローには追いかけ回された[544]。アリは1984年の第13回東京音楽祭にゲスト審査員に招かれた際に、歌唱した西城を「これまであんなセクシーな若い男の子見たことない」と一目惚れし、スティーブ・マックイーンの前の夫であるロバート・エヴァンスとの間にできた息子を連れての来日だったが[544]、そんなことはお構いなしで、女性週刊誌から当時交際していると噂された作曲家との仲を聞かれると、「もうターゲットは日本人に変えたわ」と答えるほど西城に熱を入れ上げた[544]

 

西城の海外進出の切っ掛けも外国人女性が関係している。1980年代に香港を皮切りにアジア公演をプロデュースしたのは「オールプロデュース」という企画会社だったが、この会社の社長の娘が当時、アメリカンスクールに通っていて、その娘から「ヒデキはアメリカ人のスクール生からウケがいい」と聞かされた「オールプロデュース」の六車暢志が「そういわれればヒデキは上背もあるし、熱唱型。ひょっとしたらいけるかもしれない。まず、手近な国際都市・香港で試してみよう」と思いついたのを始まりとしている[389]

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