HIDEKI Wikipedia

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西城秀樹氏の私設Wikipedia

「月刊you」創刊号/1976年9月号)-『阿久悠 命の詩』(2007)より。「下田東急ホテルのスイートルームで三木たかしと二人で獅子を走らせるために苦しんでいた時、部屋中を埋めつくす程の花が西城秀樹からとどけられたことを思い出した。(「若き獅子たち」について)[521]

 

音楽家・作曲家の小林亜星は西城の事をミュージシャンとしても非常に認めていた。「歌い手として素晴らしい人だった事は勿論ですが、彼はミュージシャンとしても特別な凄味を持ったトップアーティストだったと思います」更にドラマで共演した事もあり、西城の性格は把握していたようである。「どうして外国にもたくさんファンがいる偉大なシンガーが隣のやさしいお兄ちゃんになってしまえるのか?今でもずっとナゾです!」「素晴らしい人」とも語っている[522]

 

西城は波乃久里子の父である中村勘三郎 (17代目)の大ファンでもあった。何度も観劇してしている。寺内貫太郎一家パート2で左腕を骨折した際もタキシードの左袖を切って、腕を吊って観劇に行ったという。その姿を見た中村は感涙した[523]。俳優の緒形拳とは1981年、2時間ドラマ『青年 さらば愛しき日々よ』で共演している。その後、緒方は西城のリサイタルへ行った。1986年、緒方は西城に「いちど あなたの リサイタルに行ったことがありましたね」「どことなく あどけなく少年の様にひたむきでした。すてきでした」「何年かのち あなたはきっと『みすたァ』となります」(原文ママ)というような内容のメッセージを送っている[524]

 

西城は若い頃から海外アーティストからのラブコールは多い。バリー・マニロウも例外ではなく西城にメッセージを送っている。日本語をローマ字で「Boku no atarashii Tomodachi Hideki-san ni- Omedetoo Gozaimasu! Hideki wa Saiko!! Barry Manilow」(原文ママ)と綴っている。同様の英文あり[525]。「シティ・ポップ」を代表するアーティスト角松敏生は西城の事を「秀樹さんはどんな季節のどんな風も、全て自分色の風に変えてしまう永遠の少年だと思います」「はじめて会った時の二カッとした笑顔」「今夜も永遠の少年は、夜空さえ自分のものにしてしまうでしょうね」と語っている[526]

 

ミュージカル『デュエット』で共演した鳳蘭は「少年の様な初々しさとジゴロの様なセクシーさを持ち合わせた魅力的な人です」「これからもミュージカルにどんどん主演して下さい。但し相手役は鳳蘭に限る!」とコメントし西城の事を気に入っていた[527]。ボイストレーナー大本恭敬「自分を大事にしてきた部分に遠慮があったと思う。もう遠慮なしに強い自己主張を持って前進してほしい。より豊かな広がりが期待できるでしょう」[528]

 

『夜のヒットスタジオ』1968年から番組終了まで構成を担当した塚田茂は毎週顔を出していた。(1980年代以降、現場指揮は小林久枝)塚田曰く「初対面の折に感じた〝ナイーブで素直な若者〟という印象は今も変わらず。彼らしい成長の仕方をしていると思う。「〝自信〟が人間をひとまわりも、ふたまわりも大きくする」ということを実証している男ですネ。そしてまた〝淋しさ・悲しさ〟もよく知っている非常に人間的なスターだと思います」(原文ママ)[529]

 

SHOGUNの大谷和夫(西城のバックバンドも務めている)「サッパリとした男らしいイメージが歌にあらわれてますね。音楽していても切れ味がある」「今後10年とは言わず、末長く切れのいい歌声を聞かせてほしいですね」(原文ママ)[530]

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