2001年秋、仕事から帰宅した際、妻に「ふらつく」「しゃべり辛い」と不調を訴える。病院で検査をすると脳梗塞が確認され緊急入院。この時は一週間ほどで退院した。疾患は軽度で再発はないと思い、また、周囲に過度な心配をかけぬために対外的に「二次性多血症で入院」と発表した[92]。
2003年、ディナーショーのため訪れていた韓国で2度目の脳梗塞を発症。朝に症状がありながら、その夜のディナーショーをやり通して、さらに空路帰国して入院。懸命のリハビリにより1か月で復帰会見に臨んだが、実は一部声帯の神経が損傷しており、歌手にとっては致命的ともいえる歌どころか言葉自体を正確に発することができない構音障害を発症しており、引退を発表するつもりだったという。しかし「すぐに結論を出さずゆっくり治していけば」という夫人の言葉で、芸能活動を継続しながら回復に励む道を選ぶ。その年『Forever ’70s 〜青春〜 伝説のステージ』に出演するも、「ボロボロだった。」と振り返っている。
2004年、著書『あきらめない 脳梗塞からの挑戦』(リベロ)発売。自分の闘病体験が同じ病気を患った人たちへの役に立てればと、医療関係のシンポジウムなどでの講演も積極的に行う。無くした声帯の神経の周辺の神経を刺激し鍛えるボイストレーニング法に取り組み、2006年、脳梗塞発症以来3年ぶりのシングル「めぐり逢い/Same old story 〜男の生き様〜」発売。その後も徐々に回復傾向に向かい、年々コンサート本数も増えていた。
しかし、2011年に脳梗塞が再発していることが判明、東京都内の病院で入院した。右半身麻痺の後遺症が残ったが、リハビリに水中運動を取り入れ、筋力をつけることで立つことには支障が無くなり、再びステージに立つまでに回復した。ステージ復帰後、最晩年まで週に4回ほどのペースでリハビリを続け、自宅で意識不明となる2018年4月25日の日中もリハビリを受けていた事が死去後明らかにされている[553]。
なお、2003年の発症時、及び2011年の再発時も、2001年の脳梗塞発症の事実は伏せられたままだった為、西城が生前脳梗塞を発症したのは、対外的には公表した2回とされていた。更に、西城の死後出版された妻の著書では、公表した2回と伏せられていた最初の発症以外にも複数回脳梗塞を発症しており、軽度のものを含め実際の発症回数は8回に及んだ事、西城が度々発症した脳梗塞が『ラクナ梗塞』と呼ばれる隠れ脳梗塞だった事が明かされている[554]。
同書ではこの他にも、西城が脳梗塞の他に小脳の機能に障害を及ぼす多系統萎縮症を発症していると診断されていた事も記述されており、一度は回復しつつあった歩行状態や発声が、晩年にかけ再び悪化していったことが、この病気によって引き起こされた自律神経障害に起因するものだったことが明かされている[555]。
2018年4月25日、自宅で家族と団らん中に倒れ、神奈川・横浜市の病院に救急搬送された。その後、3週間ほど入院していたが、その間意識が戻ることはなかった。また、通夜・葬儀の司会を務めた徳光和夫は自身のラジオ番組で、家族から聞いた話として、治療に当たった医師と家族との間で延命治療についての話があったことを明かしており、その時の容態について「仮に延命治療をしても意識が戻るわけではなく、そのまま生涯を終える」状態であったと話している。最終的に西城の子供達の意見を受けて、延命治療はしない事となった[556]。そして、2018年5月16日、午後11時53分、家族にみとられながら息を引き取った。